Category:ハプニング’
ふる〜いお客さんシリーズ
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震災があった金曜日、ディギットにとてもとても懐かしいお客さんが来ました。
それはこの男!
河内山君です。僕は高知山リッちゃんと呼んでおりました。
彼は厚木ディギット時代に僕と同じオートバイに乗ってディギットに時々来ていたのです。
当時は首都圏に住んでいたのですが、転職して大阪に住み今は大阪の会社にお勤めとのことです。
そしてこの見てくれ通りやっぱり独身!
BMXライダーらしい人生を送っております。
仕事で長崎に出張にきてその帰りにバスを乗り継いで寄ってくれたのです。
しかし、この男見るからに怪しい!じゃないですか。
この日もむすーっと入ってきて何も言わずにずっとおったんですよ。あんまり怪しいので僕が声かけたら「あ!僕、河内山です」ってやっと告白したくらいです。普通ならスキップさん僕覚えてますか?なんて良いながら来ますよね!
ほんと怪しい!
そして昔のように僕の話を聞きながらニヒルに笑っていつの間にか帰って行きました。
怪しい男、高知山リッちゃん。
怪しいけれど、わざわざよってくれるなんてやっぱり嬉しい。
BMXストアやっててよかったなぁ。
大阪の皆さんどこかでこの男を見かけたらご注意下さい。ニヒルに笑います。
MORALES、GRAVEYARD そして古〜いお客さん
- by Skip
今日、お店に電話がありました。
「そちらにノーマルサイズのヘッドセット置いてありますか? 僕のフレームはモラレスなんです。」
へ〜モラレスか〜懐かしいと思ってヘッドセットはありますと返事をしました。すると電話の主はこれからお店に向かいますとおっしゃるので、お近くなんですかと。熊本から来ますとのこと。来られるんだな、それにしても見事な標準語を話される方だったなと感じていました。
熊本から佐賀まで約80km、電話から約二時間でその方は来られました。
手には見事なピンクのモラレスフレーム。そしてそのお顔に見覚えがありました。
しかも、着ているパーカーは知る人ぞ知る「DIG-IT ‘ZINE HOODED SWEATSHIRTS」!
この人は出来る!っと思って色々聞いてみたら、何とそのお客さんは1993年くらいからディギットに来てくれていた古いお客さんだったんです。元々東京に住んでいた彼の名前は通称「まるまる」。最近熊本に引っ越してきたんだそうです。あまりに懐かしいお客さんの登場に嬉しくてなってしまいました。厚木にあったころかの古いお客さんとまたこうして佐賀の地であえるなんてディギットを続けてきた甲斐があるってもんです。
マルマルのモラレス、彼はこれを復活させてまたBMXを始めるんだそうです。
では彼のモラレス、そしてゴールドのグレーブヤード・ジェシーバーをご覧下さい。
このフレームのペイントもディギットで塗ったのです。大昔は店内に塗装ブースがありました。
ちなみにこのフレーム3.07KGでございます。
ぜひディギットの古ーいお客さんの皆さん佐賀にもお越し下さい!
待ってます。
お歳暮っ!
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昨日見事な箱に入った荷物が届きました。
箱には広島、お好み焼き、要冷蔵って書いてあります。
差出人は……….瀬崎…. 河童!
中身は美味しそうなお好み焼きでした。
どうやらお歳暮らしです。。。。
まさか貧乏人ばかりのTeam DIG-ITのメンバーからお歳暮を頂けるとは。
特に河童は貧乏なのに!
有り難すぎて食べれません。これは燻製にしてショーケースに入れて飾っておかないと。。。
っと、思ったけど食べないと腐るので有り難く頂きます。もちろんちゃんと両手を合わせて「頂きます」してから。
ありがとう!河童!
とくちゃん!
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先週の日曜日、お客さんから匿名で電話が掛かってきました。
「今日はスキップさんおられますか?」
それから数時間がたってディギットの前に北九州ナンバーの自家用車が止まりました。
そして来てくれたお客さんの顔を見て僕はびっくり!!!したのです。
と、とくちゃん!!!
トクちゃんこと徳田君はディギットの古〜〜〜いお客さんでよーく遊びに来てくれていたのです。ディギットが以前作っていたビデオシリーズでも最低と言われた「マイナス7」。そのビデオ唯一の名場面と称えられた「雨のランプ」を撮影したときにその現場にいて大笑いをしていたライダーが徳ちゃんでした。
その後、だんだん彼も仕事が忙しくなってあまりディギットに顔を出してくれなくなったのですが、自分で言うのもなんだけど僕と徳ちゃんは何だかとてもジャストフィットなんです。気が合うんです。だから本当に一年に一回でも顔を見せて徳ちゃんがいつものように豪快に笑ってくれると幸せな気分になれるんです。いつだってなんだって楽しむ事が上手な徳ちゃんは最高です。
その気が合う徳ちゃん、勿論東京都下に住んでいるんですがわざわざ佐賀まで来てくれたのですよ。聞けば北九州に奥さんの親戚がありそこに来たとのことと。親戚に赤ちゃんを見せるために来たんだそうです。それでどうせ九州に来たならスキップさんのところに、ディギットに絶対に来てみたいと思ってくれてわざわざ車を借りて北九州から佐賀まで実はかなり距離があるのに会いに来てくれたんですよ!
これが嬉しくないはずがない!幸せですよ。
もう楽しくて楽しくて、ずーっと心が温かくなりました。
やっぱり厚木にあったときに来てくれていたライダー!最高です。
僕は幸せ者です。
徳ちゃんありがとう。赤ちゃん見せてくれてありがとう!
また会おうね!
奥さん大事にね。
SKIP
躍動!神埼誠→これが本物のタンブリングだ!
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人に取り柄あり!
ですが、特に僕の廻りには特に凄いライダー達がおらっしゃいます。
例えばロドは高校時代に長崎県レコードを作った棒高跳びの選手でした。
そして今日ご紹介するのが神埼誠こと佐藤誠です。
たぐいまれな筋肉隆々のボディを持つこの男。タンクトップをこよなく愛すこの男の特技とは。
それは新体操!
高校時代、九州ではナンバーワン、全国でも屈指の男子新体操強豪校に通っていた彼の動きは半端じゃな いです。
今日、その一部を披露してくれました。
先ず、180°開脚。
軽々と倒立。
これ、新体操の基本技「鹿倒立」
狭いディギットの店内で軽々とやってます。
鹿倒立。ディギット前
バク転前のポーズでございます。
バク転!
新体操に入る前のポージング。
観覧していた太郎夫妻のリクエストにより新体操をBMXに活かしていこうと言うことになりました。
間近に見るタンブリングは物凄い迫力です。
神埼誠、素晴らしい佐賀んライダーです。
いつか全国デビューさせてあげたいです。
ロドが交通事故。
- by Skip
Team Dig-itの遅れてきた新人、ロドがよりによってバレンタインデーの日に交通事故に巻き込まれて現在入院中です。
対向車線からおじいさんがはみ出してきて正 面署突。さらにそのあと後から追突されたという大惨事。
しかしロド、日頃アブフレックスで鍛えたそ の筋肉でしっかり身体をディフェンス。膝のお皿は割れてしまいましたが他には外傷無しですんだそうです。
怪我をしたら使い物にならないのでクビにし ようかなと一瞬考えましたが、未だ使えそうなのでクビにしません。
地元長崎の病院に入院しているらしいのでお 見舞いをネタに長崎観光に行こうかな?
ロドには入院中に新技でも考えてもらいま しょう。
dig-it BMX twitter: http://twitter.com/digitbmx
発見!ディギット懐かしの写真達
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古いライダーの皆さんならご存じだと思いますが、1994-2004年までディギットではdig- it’zineといライダーマガジンを発行していました。そのおかげで各地に取材に行って沢山の写真をデーターとしてもっていたのです。本当に沢山の写真 をもっていました。ところが……二度にわたるハードディスクのクラッシュで2000年以前のデーターのほとんどが失われてしまったのです。もちろ ん当時写真はアナログだったので雑誌を作るときにはフィルムスキャナーで写真をPCに読み込んでいたのでフィルム自体はもっているの訳ですから、やろうと 思えばもう一度フィルムからデジタル化する事は不可能ではありません。しかしその作業は大変な時間と労力が必要ですから事実上行うことが出来ません。
しかし今日、偶然にもクラッシュを免れた昔のディギットの写真データーを発見しましたのでよかったら ご覧下さい。
多分95年くらいから99年くらいまでディギットではディギコンとう超ローカルコンテストを年四回の シリーズ戦で開催していました。これはその1997年の開幕戦のポスターです。ライダーは今FREEのオーナーであるトシゴン(T-gon)です。この頃 T-gonは大学一年生でした。 なお、ディギコンはフラットランドとミニランの二種目でやってました。トシゴンはそのどっちの種目でもチャンピオンに なってます。
ディギットの前にはミニランがありましたが実は三回作りました。この写真は一番最初に作った(多分 1992年か93年頃)ミニランでの写真です。多分ライダーは駒沢ライダーの文珍(通称)です。この頃のBMXのトレンドはメッキのプラットフォーム付き フレームにハンドルバーは低いのが流行ってました。文珍が着けていいるのはS&M BikesのGay Barです。多分6インチくらいです。
これもド初期のランプでライディングするライダーの写真です。このライダーはコウシといって当時中学 一年生。とっても素直で飛べと言えば着地のことなど考えないで飛んで大クラッシュを繰り返していました。そして彼の兄はモト君と言ってそのあとディギジン のカメラマンとしてBMXを撮影し始め、その後カメラマンとして独り立ちを果たし(?)ました。モト山中として有名です。またコウシとも未だに付き合って いますし、モト君に至ってはチームディギットの宴会部長もしてくれている位の友達です。
上の二枚の写真は95〜96年くらいのディギットの店内です。HARO SportやDynoのフレームやHaroのKnee Saver Barとか懐かしいパーツが並んでます。右の写真の左側がSkipです。
これは93年に熊本・八代のライダーから送ってもらった写真です。この当時Keven Jonesが設計したHoffman Bikesのフラットランドフレーム「Big Daddy」が発売されてKevinの大ファンだったライダーが連絡をくれたんです。そのライダーは山内貴君と言います。その後彼は福岡でスパームという お店をやることになるのです。
上の四枚の写真は多分95か96年頃のディギコン中期の大会の写真です。おがまさ、まーぼ、としく ん、こくりゅうちゃんというナイスキャラが来てました。
これはディギットのミニラン第二期が完成した直後の96年頃の写真です。当時はフラットライダーだろ うが何だろうがそこのミニランがあったら乗って楽しんでいました。そして転んでました。笑ってました。
おなじくこちらはSkipの弟です。ミニランのって転んでました。笑ってました。
こちらは一部で有名だったダンナーの初期の写真です。笑顔です。
この二枚は未だに最先端で頑張るロカちゃん(原真一郎)の写真です。多分96-97年頃だと思いま す。ロカちゃんは時々遊びに来てくれていました。このあと大阪の大会で太郎と初対面。そして太郎に頭をかじられるというとんでもない悲劇にあったのです。 ロカちゃんのバイクはホームレスのソウルブロにローズのペグでした。
こちらは95-96年頃にディギジンの企画でローカル訪問というのをやっていて最も手頃だった神奈川 県秦野市の渋沢ローカルを取材したときの写真です。ローカルライダー四人に何故か静岡から伊豆川さんというライダーも遊びに来ていました。
これは95-96年頃にJesse Puenteが当時最先端のフラットランドフレームだったモラレス(Morales Bikes)のプロモーションで大阪に来たときにマイフレンドのリロリン(現在神奈川県逗子市のサイクルショップで勤務中)と写真を撮ったときの物です。 僕はジェシーと友達になってアメリカに行ったときには必ず会いに行っていました。
そんなジェシーと彼のローカルライディングスポット、CalStateで渾身の一枚!
こちらは95年頃の一枚、まだ第二期ミニランを作成中でした。この写真の左上に現在KOGの運営他で 大活躍しているGreen-G(竹生)が写ってます。彼はまだ厚木の大学に通う学生さんでバイクで帰り道に遊びに来てました。もちろんこの頃の彼はTシャ ツの裾をケミカルウォッシュのジーンズの中に入れてます。
これ誰だか分かりますか?現在チーム・ディギットのプロライダーの河村卓馬です。誰にでも初心者の時 があるんです。彼が乗っているMorales Bikesはフラットランドフレームとして大ブレークしてました。
97年の福岡の福岡の大会で太郎と!この時はChad Degroot、Ian Morris、Fidsも来てました。太郎はこれ以前からアニマルプリントの衣装を着こなして時代の先端をいてました。だってこのあとアユとかがでてきて ヒョウ柄とか流行りだしたんですから。
同じくロボクンと。凄き筋肉美ですね。今も変わらぬボディーをお持ちです。そしていまだにアグレッシ ブかつスタイリッシュです。
99年に大分で行われた大会「温泉でポン」の帰りにライダーの乗る車が大分道で大転倒事故を起こしま した。その当時カメンライダーだったヒロも同乗していて救急病院運ばれていました。僕は心配で生きた気がしませんでした。この事故は恐怖の二回転半として しばらくライダーの間で語り継がれる事になりました。幸いヒロは軽症で済みましたが入院したライダーもおりました。
ディギット初期から来てくれていた日系ブラジル人ライダーのロバート。彼とは一緒に大会行ったり銭湯 にいったりと仲良くしてました。
97か98年頃のフロリダの大会でFBMのSteve Crandallと会いました。実はFBMを初めて日本に輸入したのはディギットです(多分)。92年か93年頃だと思いますがその頃駆け出しのBMXマ ガジンだったride BMXにFBMは広告を出していました。それはふとっちょのおじさんの絵が描いてある広告で初期のFBMはTシャツしかありませんでした。しかもデザイン の一つしか無くTシャツのカラーも白のみでした。だけどふとっちょおじさんのデザインが素敵で手紙書いて数十枚をオーダーしたのです。そして待つこと数ヶ 月。ようやく手元に届いたTシャツ。わくわくしながら箱を開けました。すると……なんとTシャツが全部くっついているではありませんか!どうやら プリントしたインクが乾く前に重ねてしまったようで全部インクでくっついていたのです。当時は手紙しかやりとりの方法が無くって仕方なく泣き寝入りしたの です。とほほほ。。。でしたがそんなTシャツでも欲しいというライダーもおり数年寝かした後にディギコンの商品として重宝されましたとさ。そしてひっつい たTシャツをディギットに送ってきたSteveはそのあと出世してパーツやフレームも作り出すのでした。で、上の写真の時に初対面したんですが彼はディ ギットの事を覚えていてくれて一目で仲良くなりました。
この時のフロリダの大会には日本からShoe-gもエントリーして大活躍してました。僕は初めてのフ ロリダでしたが、あまりの灼熱で一日で顔の皮がべろっと一枚むけてしまって大変な目に会いました。
98年頃のディギットローカルライダー。
東大和にあったHYBストリートジャムです。当時一番楽しかったストリートの大会でした。
97年頃の太郎と右はアトムくん。バーチカルライダーのアトムくんが福岡のショーに来たときの写真で す。当時九州でバーチカルのライディングを生で見られるなんて事はほとんど無くてそのトップライダーであるアトムくんが来てくれてショーでライディングし てくれるなんて凄い事だったんです。もちろんそんなアトムくんは大スター!九州ライダー全員がリスペクトしておりました。それぐらい彼のライディングは強 烈な印象を残したのでした。
こちら太郎が名付けた山形バカ四人組。全員ナイスキャラでした。
上の三枚の写真はダンナーが一時日本を離れることになり送別BBQをしたときの写真です。この頃はラ イダーは半ズボン!
97年か98年には友達のショーン・マッキニーがディギットに彼のバイクS&M SabbathとPrimoのニュータイヤWallを引っさげてやってきました。そしてディギットでBBQをしたのですが、調子に乗ったショーンは走る車 にロケット花火を発射するは、ウィンナーを投げつけるはでそりゃも大騒ぎ。おかげでディギットは閉店かなと覚悟したもんです。
上の三枚はディギット初期のお客さんからチームライダーになったコウシとの写真です。ランプは最終型 です。
最後までなつかし話にお付き合い頂きましてありがとうごましした。
これからも沢山の想い出を作るのが楽しみです!
Skip
太郎がぎっくり腰になりました。
- by Skip
一人暮らしを始めてバイクも新しくなってノリノリのはずの太郎。しかし不幸は突然やってくる。
ぎっくり腰になっちゃたんです。今は全く動 けない様子。BMX業界では名医として知られている北九州の瓜生しぇんしぇいに見てもらえば直るのかもしれません。
しっかしぎっくり腰なんてね。出会った頃は 素直な(?)若者だった倉谷太郎→今はすっかり37のおんじさんでございますね。
太郎がおんじさんなら僕はもう棺桶の片足 か?
腰は大切にしましょう。
自転車の安全について
- by Skip
Skipブログにも書いたけど、僕は自転車に跳ねられてしまいました。
跳ねた彼は「無灯火」でした。
東京に住んでいる、チームライダーの河村卓馬から「スキップさん、俺、リアブレーキ付けようかと思ってるんですよ。」ていう話を聞きました。それは最近東京では自転車の事故が多発しるらしく自転車に対してかなり厳しい対応、取り締まりがされるようになったからだそうです。無灯火は論外ですが、ブレーキに関しては競輪の自転車のようなピストバイクはペダルと後輪が直結で止まるときはクランクをの回転を足で制御して速度を落とすのでブレーキがありません。今このタイプの自転車が流行っていてブレーキがないせいで事故が多発しているんだそうです。だからブレーキないと違反の切符を切られ五万円(?)くらいの反則金を払う羽目になりかねないんだそうです。BMXでの自走も大好きな卓馬にとってこれは一大事です。だからブレーキを付けようかと考えているんですね。
確かにBMXを技をするための道具として考えるなら自分が好きなようにしていいんだと思いますが、それで自走をしたり回りの状況に合わせて考えるのならば、たしかに余計に必要な物が出てくるのは仕方がありません。
例えばレーシングカーにはウィンカーやブレーキランプ、ヘッドランプなどのいわゆる保安部品は付いていませんね。あれは、決まったコースで決まったルールに乗っ取ってゴールまで壊れずに誰よりも速く走れればいいんですからね。
でもあれで普通の道を走るとしたらそのままでは不可能。保安部品も必要ですし、より静かなマフラーもいるでしょうし、アクセル開けないでも走れるエンジン特性にロングライフのエンジンなども必要でしょう。
BMXも同じようにそれそのものはチューンされたレーシングカーと一緒ですよね。そのレーサーで公道も走るなら、移動も使うのならば、夜間はライトが必要でしょうし、ブレーキも必要になってしまうんでしょうね。それは妥協するしかない部分かもしれません。
車で運んで自走はしないというライダーだったらこの話は無視してokですが、自走もするなら人に危害をくわえないとう、もしもの事も頭の片隅に想定して最低でも夜間に使えるライトとブレーキを付けて下さいね。卓馬がいうには東京では前後付けてないと反則の対象になるそうですよ。
さて、今回僕が被害にあった無灯火についてうんちくを一つ言わせてください。
車でもオートバイでもそうですが、ヘッドライトを付けることの意味を勘違いしている人が多いのではと僕は思ってます。ライトを付ける最大の効果は「回りに自分の存在をアピールする(分かり易くする)」ということなんです。暗い夜道でヘッドライトを付けて障害物をよけるという効果も有りますが、それよりもまず第一に自分の存在を周囲に認識してもらいやすくするという事なんですね。
雨の日や夕暮れなど車や自転車が見えにくくなる時間帯ライトの点灯は物凄く効果的なんです。当てられにくくなるし、当てにくくもなるということですね。
だからBMXに付けるライトは前を照らさなくてもいいんです(真っ暗な田舎道は別ですよ。)。今流行の発光ダイオードで、回りから認識してもらえればOKなんです。ハンドルバーにマジックテープで付けるタイプのヘッドライト安いみたいですから、自走を楽しむライダーは手に入れて「安全」にも貢献してくださいね。
ついでに車やオートバイに乗るライダーもヘッドライトは暗いから付けるんじゃなくて、目立つように付けるんだということを再確認してくださいね。アメリカでは西日の強い夕暮れ早朝、雨なので景色のコントラストがはっきりしない時間帯はヘッドライトを付けるのが常識になってますよ。
そんなところだけはアメリカかぶれしてみてくださいね。
今回は自分がひかれたので安全のうんちくをお伝えしました。
(実は卓馬、三年前に車と事故をしたのです。その時の彼のバイクはこんな風になりました。事故はしてもされても体力を消耗しますよ。)