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佐賀のRUN 2013情報 6/3

 - by Skip

SAGANORUN-2013

もう一月半後に迫ってきました。
今年の 佐賀のRUN .

ポスターの原案が完成したので掲載します。

6月3日現在の大会の詳細は以下の通りとなります。
日時:2012/7/14(日曜日)9:00スタート 18:00終了予定
場所:佐賀県佐賀市呉服元町656広場(屋根付きのステージ付きイベント広場)

主催:佐賀のRUN 実行委員会 代表 SKIP MAWATARI
開催予定種目
●FLATLAND CONTESTS
3クラスに別れてそれぞれコンテストを行います。
●BOX JAM
BOXを配置しプロ・アマ関係なくみんなでBOXを使ってJAMをしてもらいます。
●BUNNY HOP BATTLE
単純明快。誰が一番高く飛べるかを競います。

今年は連休中日の7月14日(日)に開催します。
翌日の15日(祝日)も会場で乗ることが出来るように検討中です。

たくさんの地元スポンサー企業さんにお願いして素晴らしい賞品をと熱いハートでライダーの皆さんの参戦をお待ちしております。

詳細は順次開催いたしますのでチェックされてください!

*大会参加を希望されている皆様へ。
遠方から佐賀に来て大会に出たいという皆さんは特に交通費などを安くしたいと思われてると思います。早めにLCC等を予約頂ければ東京方面でお片道5〜6000円で来ることが可能です。
大阪からもPeachなどのLCCを利用されると安い運賃で来ることが可能です。ただLCCは自転車などを持ち込む場合追加料金を取られることも多いので、完成車の箱に入れられてDIG-IT BMXまで宅急便などで送った方が安く出来る場合もありますので運賃をチェックされてください。また、帰りはDIG-IT BMXでまた箱に詰めて頂ければ こちらから自宅までBMXを送ります。送る運賃は僕に問い合わせください。かなり安い運賃で送ることが出来ます。
* 飛行機や新幹線などを利用されて来られるライダーの皆さんへ。
福岡空港や佐賀空港、博多駅、佐賀駅などに到着される場合は予め予定を知らせて頂ければできる限りお迎えに来ますので連絡ください。
(佐賀は福岡市内から車で一時間ちょっとで到着します。電車だと博多駅から特急利用で30分ちょっと!、福岡空港から佐賀駅直通バスで一時間十分です)

*現在協賛が決定しているスポンサー様
HOODS CREW, HTB PARK, Hybition Conspiracy, Happy Bike Lovers, BSTAR Bike, としあみん写真事務所(順不同、敬称略)
佐賀のRUN 世界選手権 おもてなし委員長 SKIP MAWATARI

起業当時回想 その4

 - by Skip

☆「当時のBMXカンパニー。」

始めてきたディギットにやってきた商品は、エディー・ローマンの「RIDE ON」と「MATT HOFFMAN HEAD FIRST」という二種類のビデオ、それとRIDE ONのT-SHIRTSでした。このビデオは衝撃的でした。それまでモトクロスのビデオしか見たことが無かったのですが、断然格好良かった。音楽も映像も全てが抜群のセンス。Tシャツも日本人には絶対にデザインできないセンスで最高でした。そしてサイズはXL!

そしてHOFFMAN BIKES。ディギットと同じ時期にMATT HOFFMANが作ったバイクカンパニー。信じらハイエアーを見せるマットホフマンが表紙のカタログに心躍りました。バイクはHOFFMAN CONDOR。CONDORは今じゃバーチカルのフレームですが、当時はそんなの無くて、これでフラットからストリートなんでもやってました。レースを走っている人もおりました。ホフマンはTシャツも格好良くて特に「H」の字が燃え上がっているデザインのTシャツが格好良かった。ただ、このTシャツ、プリント部分が大きくて汗をかいて大変でした。

Wilkerson Air Lines、今の2-Hipです。この当時マットホフマンと、ロン・ウィルカーソンは一番有名なライダーでロンのバイクカンパニーがWilkerson Air Linesでした。RIOTと言う名前の独特の形状のフレームと、グラインドでハブがやられないように下に突き出たチューブが特徴のフォーク。忘れられません。

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FBM。いまはM社さんが取り扱ってますが、FBMもディギットと同時期に出来たブランドです。きっかけは雑誌に載っていた小さな広告を見て弟が手紙を出したのです。なんといっても今でも使っているチビでハゲでデブなキャラクターが本当によかったんです。当時はあのデザインのTシャツ1種類しかない個人ブランドだったんです。確か20枚くらいTシャツを頼みました。しばらくしてやってきたFBMTシャツは全部が張り付いていたんです。どうやらプリントのインクが乾かないうちに重ねたのと、一部だけインクが大盛りなっている部分があって全部シャツが張り付いていたんです。でも当時はシステム状返品が出来なかった!泣き寝入りでした。その後1997年にフロリダで社長のSteve Crandallと実際会ってその時のことを話したら、「すまん」と謝ってました。彼は今でも僕のことを覚えてくれていてとってもいい人です。

他にはPoor Boy、Jinx、UGP等素敵なブランドがありました。

ともかく当時はBMXの雑誌は必死に読みあさって良いと思われる物を輸入してました。でも本当にディギットを育ててくれたのは来てくれていたライダー達でした。

続く…

☆S&M bikes。何といてもダートバイクとスラムバー。最もカッコイイBMXカンパニー。特別な存在なので近いうちに別に書きます。

ディギット起業当時回想 その5 「ライダーが育ててくれた」

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ディギット一年目の試練。

最初はモトクロスウェアーの代理店の片手間のように始めたBMXショップでしたがちらっと「サイクルスポーツ」誌に広告を載せたら予想を上回るほどの反響がありました。今思えばほとんどBMXの記事がない「サイクルスポーツ」誌に広告を出したのも全くこの業界を分かっていなかったからに他なりませんが、徐々に電話がなって来店してくれる人も増えてきました。とはいえ、前に書いたようにディギットの立地のせいでたどり着けなかったライダーも多数でしたが、来てくれたライダーはみんな凄く感動してくれるので「これは凄いことなのかも?」って思いました。ほとんどのライダーが「うわーこんなにBMXやパーツが置いてある店見たことない!」っていってくれたんです。「凄い凄い、嬉しい!」って感動してくれライダーも!

しかし当時、本当はそんなにたいしたことなかったんですよ。ホフマンコンドルの完成車とフレーム&フォーク、ウィルカーソンのフレーム&フォーク、Tシャツにビデオぐらいしかなかったのにこんなに感動してくれるなんてもっと揃えたらどうなるんだろうって心が躍りました。来てくれたライダーは大体ビデオを買って行ってくるんですが、それを見てもっと感動したらしくわざわざ電話で「ビデオ凄かったです。有りがとうございます。」って。買ってもらったこっちの方が感謝するならわかるんですが、感動した気持を素直に伝えてくれたりと、あの頃、ライダーは情報に飢えていたんですね。

それで僕はますます、BMXって何だか凄いぞって、ライダーって面白いし良いやつが多いなって思い出したんです。

それでもまだまだ、BMXショップはモトクロスウェアーの市場規模の比ではなかったので腰掛け商売だったのかもしれません。

ところが起業から一年目。アメリカのモトクロスウェアーカンパニーが大手に乗っ取られて(今でいうところのM&Aで)ファックス一枚で代理店契約を打ち切られてしまったんです。残ったのは数千万円の借金と数百万円の在庫のみ。危機でした。毎晩ディギットがなくなる夢を見ました。ノープラン、ノー天気野郎だった僕も借金を背負って生きていくのかと物凄くグライ(失望)しました。

そして、もうディギットに残っているのは「BMXショップ」それしかなかったのです。

僕はこれを必死にやっていくしかないと覚悟しました。それで一体どうするか…

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まずディギットの最悪立地をカバーするために通信販売で売っていくしかないなと思ったんです。

それにはカタログを送る必要が有るのですが、それだけだと面白くも何ともないですから、ディギットの常連さんライダー(彼らはとても個性的で面白かった。)の事をニュースにしたり、当時大会を頻繁にしていた駒沢公園に取材に行ったりして内輪ネタを付けて「DIG-IT NEWS!」というカタログを作りました。

結局はだんだんエスカレートして「DIG-IT ‘ZINE」に発展していくんですが、それはまたそのうちとして今回はそうやってBMXショップとして本気になったディギット。

この最初の危機も結局はライダーが救ってくれたんです。

カタログの件では以前から興味深かったライダー達のライフスタイルを取材させてもらい、地方も都会も関係ない沢山のライダーから支持してもらえましたし、ライダー達もディギットを信頼してくれてかけがえのない生の情報を沢山くれたんです。

商品構成などについても、僕は必死にBMXの雑誌を読んでどんな物が良いのか、何か新しいもの、ブランドはないのか探りましたが、僕のあがきよりもこれも結局何よりライダーからもらった情報、声が一番だったんです。

例えば初期のディギットの代名詞となった「GRAVEYARD PRODUCTS」。世界最初のフラットランドパーツカンパーニーでした。

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「GRAVEYARD PRODUCTS」はBMX PLUS!誌に小さな小さな記事があり、それをあるライダーが「これ、とれないんですか?」って聞いてくれました。調べていくと当時からトップライダーだったJesse Puenteが使っていた「Jesse Bar」も同じ会社が作ってるのがわかりました。しかしアメリカ人は住所を悟られないためなのか、貸し私書箱を使っている人が多く、「GRAVEYARD PRODUCTS」もそうだったので正確な住所が分かりませんでした。仕方なくうちの弟がアメリカに行ってその私書箱の住所付近をうろうろしていたら偶然一人のライダに遭遇。そして「GRAVEYARD PRODUCTS しらない?」って聞いたらそれがたまたま本人だったんです。全く運がよかったとしか言えません。その時はハンドルバーを数本買って帰ってきました。それがちまたで凄い噂になり一時ハンドルバーだけでバックオーダーが100本以上有ったのですから恐れ入ります。その時バックオーダーのハンドルバーをちゃんと生産できていればディギットは今頃大きな会社になれていたかもしれませんがそうはいきませんでした。結局は社長のRichardが交通事故で亡くなって。それに関しての詳しくはまた折を見て「GRAVEYARD PRODUCTS」ついて書いてみたいと思っております。

ライドBMX(アメリカ版)マガジンはディギットとほぼ同じ頃に出来たので創刊号から仕入れていましたが、アメリカの会社にありがちのともかく「チャンと来ない!」んで困っていたんです。いつ発売なのかも分からないしいい加減な雑誌だったんですね。そこでS&Mの社長 Chris Moellerにその話をしたところ彼はその場で当時ライドの編集長だったBrad McDonaldに電話をしてくれて「ディギットにはちゃんとマガジンを送ってやってくれよ。」って頼んでくれたんです。感動でしょ。

テクノ南海、当時は南海鉄工と言いました。

今では世界一のフリーコースターハブのメーカーとして有名ですが、1993年位まではBMX界の人は誰一人知りませんでした。どんなやってテクノ南海が今のように有名なったのか?

それはこれまた、ディギットの常連さんの一人が「サンツアーのコースターハブが手に入りませんかね?」と言ってくれたのが始まりでした。

当時、コースターハブを使っていたライダーの多くは80年代にあったサンツアーのコースターブレーキハブを改造したフリーコースターを使っていました。ともかくサンツアーこれはなかなか壊れないし、ちょっとくらい調子が悪くても練習できる(By Jesse Puente)そんなBMXライフスタイルを実践しているライダーには圧倒的に支持されたハブでした。

ところが多分ディギット創業時には既に廃盤。サンツアーの会社自体も風前の灯火状態だったのです。でも、何とか手に入れたい、国内、海外手を尽くしましたがもうハブはどこにも有りませんでした。

そこで思い切ってサンツアーの会社に電話してみたんです。対応してくれた方はとても親切なかたで、熊本の方と言うことで九州人どうしで盛り上がり、わざわざディギットに来てくれたんです。そして彼が言うには、もうサンツアーは手に入らないと言うことと、色々調べた結果、フリーコースターにして使えるコースターブレーキハブを作っている会社が大阪にあると教えてくれました。

それが「テクノ南海」です。

その他思い立っただけでもUGP、Poor Boy、Little Devil、Etnies、Terrible One、Magic Fruits、Props、Standard Bykes等々数えきれません。

全てライダーが教えてくれました。

ここで例とした会社、ブランドをはじめほとんど多くをライダー達が教えてくれたんです。

だからディギットはライダーとの付き合いを何より一番大事に思ってます。

ディギットを作ってくれたのはライダーの皆さんそのものだからです。

(ちょっとキザですみません。でも間違いなく真実!)