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DIG-IT SHOPPING BAG

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今日FACEBOOK見ていたら、なが〜いお付き合いのソウルライダー YU SAKAMOTOくんが下の写真をアップしていました。


それには以下のようなコメントが添えてありました。
「ナイスな袋が出てきたね~!
こういう遊び心大切にしたいよね・・・」
うれしい、最高に嬉しい。

これはDIG-ITがもうだいぶ前ですが…..多分17、18年前に作ったDIG-ITのショッピングバッグです。
当時アメリカのスーパーに行くとショッピングバッグが薄くてシャカシャカで日本のそれとは正反対の安っぽい味が良かったんですよ。
それで弟とあれいいよねって話し合って弟がデザインしてアメリカの会社に発注して作りました。
だけど確か最低生産枚数が数万枚!
数ヶ月待って物が届いたら中型のダンボール箱が沢山届いて、狭い社内で場所をとっちゃって大変だったんです。

箱を開けるとそこにはアメリカが….
そう、アメリカ製のDIG-ITショッピングバッグは思った通りの出来映えで嬉しかったなぁ。

最初はお客さんに渡すのが楽しくてしょうがなかったんですが、だんだん扱いが乱雑になってしまいました。
それは箱が場所をとっていたから早くバッグを消費して社内を広くしたかったんです。
そんな訳で後半は必要以上にお客さんに渡したりしてしてました。
そんなに使いまくっていたけど結局無くなるまでに10年位はかかりました。

懐かしいこのショッピングバッグ。
取っておいてくれてありがとう!
滅茶苦茶嬉しいです。

あの大量のダンボール箱を思うとまた作るのは躊躇しちゃいますが、作りたい気持ちになってきちゃったなぁ。
あれでみんなが喜んでくれてたと思うと泣けてきます。
やっぱりもつべきはライダーですね。

dig-it ‘zine 復刻版シリーズ 2000年10-11月号

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 久しぶりに復刻版シリーズ掲載しました。
今度は一番の自信作!一番楽しかった頃のディギット・ジンです。
この頃は本気で遊び散らかしてました。
ご覧下さい。

dig-it ‘zine 復刻版です。

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知ってる人ぞ知っている今や謎のBMXマガジン「dig-it ‘zine」。
インターネットの発展のおかげでネットで復刻版を掲載することに成功しました。
ぜひご覧下さい。
今回、復刻したのは2000年1月号、2002年3月号、2003年1-2月号です。

*またはディギットのフェイスブック・ファンページからもご覧になれます。

次回以降に復刻にもご期待下さい。

2011あけましておめでとうございます。

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皆さん明けましておめでとうございます。

今年のお正月は佐賀ではなく神奈川に来ております。

佐賀は雪模様だったようですが南関東は晴天で今日は富士山を拝めました。

富士山は凄いですね。再認識。

大晦日には厚木に行って本厚木からジョギングで旧ディギット(厚木市下依知1192)に行ってきました。2年五ヶ月ぶりに訪れたディギット創業地。

勿論ですが新しい会社が入っておりました。

少しは改装されているかと思いましたが全くそのままでちょっと期待はずれ。劇的変化を遂げておって欲しかったですね。

例えば上の写真。良く見ると写真中央付近の壁に補修のあとがございますがこれは、12、3年前にディギコンというコンテストをやってましてディギット前に作ってあったミニランで一人のライダーが飛んでここの壁にアタック!

大穴が開いてしまったのでございます。

その時の映像もディギットビデオマイナス7というビデオに残っておりますが凄い破戒劇でございました。

そしてこの壁を修理しようと見積を取ったところ何と、五十万円!

そんなお金はないので自分たちで補修したあとがそのままです。

壊したライダーは「すみません僕が弁償します」と言ってくれたものの「謝るくらいなら最初からするな!」と強がったものの実は泣いておりました。

久しぶりの旧ディギットは思った以上に変化が無くて面白くなかったですがここで17年も過ごしたので少しセンチメンタルになって思わず「ありがとうございました。」と呟いてきました。

一度来てみたかった旧ディギット。懐かしかったです。

今度は十年くらいたったら来てみます。

下依知の風景。

今年もよろしくお願い申し上げます。

dig-it bmx

Skip

ブログの移行について

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お気づきの方もおられると思いますが、このブログのアドレスが変更になっています。

その都合上ここ一年くらいのログは移行しましたがそれ以前のログは現在進行形で以降作業中となっています。

多分あと一ヶ月位したらすべでのログを移行できると思います。(データの移動が思った以上に大変なんです!)

今後も dig-it bmx B-logを宜しくお願いします。

発見!ディギット懐かしの写真達

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古いライダーの皆さんならご存じだと思いますが、1994-2004年までディギットではdig- it’zineといライダーマガジンを発行していました。そのおかげで各地に取材に行って沢山の写真をデーターとしてもっていたのです。本当に沢山の写真 をもっていました。ところが……二度にわたるハードディスクのクラッシュで2000年以前のデーターのほとんどが失われてしまったのです。もちろ ん当時写真はアナログだったので雑誌を作るときにはフィルムスキャナーで写真をPCに読み込んでいたのでフィルム自体はもっているの訳ですから、やろうと 思えばもう一度フィルムからデジタル化する事は不可能ではありません。しかしその作業は大変な時間と労力が必要ですから事実上行うことが出来ません。

しかし今日、偶然にもクラッシュを免れた昔のディギットの写真データーを発見しましたのでよかったら ご覧下さい。

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多分95年くらいから99年くらいまでディギットではディギコンとう超ローカルコンテストを年四回の シリーズ戦で開催していました。これはその1997年の開幕戦のポスターです。ライダーは今FREEのオーナーであるトシゴン(T-gon)です。この頃 T-gonは大学一年生でした。 なお、ディギコンはフラットランドとミニランの二種目でやってました。トシゴンはそのどっちの種目でもチャンピオンに なってます。

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ディギットの前にはミニランがありましたが実は三回作りました。この写真は一番最初に作った(多分 1992年か93年頃)ミニランでの写真です。多分ライダーは駒沢ライダーの文珍(通称)です。この頃のBMXのトレンドはメッキのプラットフォーム付き フレームにハンドルバーは低いのが流行ってました。文珍が着けていいるのはS&M BikesのGay Barです。多分6インチくらいです。

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これもド初期のランプでライディングするライダーの写真です。このライダーはコウシといって当時中学 一年生。とっても素直で飛べと言えば着地のことなど考えないで飛んで大クラッシュを繰り返していました。そして彼の兄はモト君と言ってそのあとディギジン のカメラマンとしてBMXを撮影し始め、その後カメラマンとして独り立ちを果たし(?)ました。モト山中として有名です。またコウシとも未だに付き合って いますし、モト君に至ってはチームディギットの宴会部長もしてくれている位の友達です。

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上の二枚の写真は95〜96年くらいのディギットの店内です。HARO SportやDynoのフレームやHaroのKnee Saver Barとか懐かしいパーツが並んでます。右の写真の左側がSkipです。

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これは93年に熊本・八代のライダーから送ってもらった写真です。この当時Keven Jonesが設計したHoffman Bikesのフラットランドフレーム「Big Daddy」が発売されてKevinの大ファンだったライダーが連絡をくれたんです。そのライダーは山内貴君と言います。その後彼は福岡でスパームという お店をやることになるのです。

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上の四枚の写真は多分95か96年頃のディギコン中期の大会の写真です。おがまさ、まーぼ、としく ん、こくりゅうちゃんというナイスキャラが来てました。

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これはディギットのミニラン第二期が完成した直後の96年頃の写真です。当時はフラットライダーだろ うが何だろうがそこのミニランがあったら乗って楽しんでいました。そして転んでました。笑ってました。

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おなじくこちらはSkipの弟です。ミニランのって転んでました。笑ってました。

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こちらは一部で有名だったダンナーの初期の写真です。笑顔です。

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この二枚は未だに最先端で頑張るロカちゃん(原真一郎)の写真です。多分96-97年頃だと思いま す。ロカちゃんは時々遊びに来てくれていました。このあと大阪の大会で太郎と初対面。そして太郎に頭をかじられるというとんでもない悲劇にあったのです。 ロカちゃんのバイクはホームレスのソウルブロにローズのペグでした。

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こちらは95-96年頃にディギジンの企画でローカル訪問というのをやっていて最も手頃だった神奈川 県秦野市の渋沢ローカルを取材したときの写真です。ローカルライダー四人に何故か静岡から伊豆川さんというライダーも遊びに来ていました。

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これは95-96年頃にJesse Puenteが当時最先端のフラットランドフレームだったモラレス(Morales Bikes)のプロモーションで大阪に来たときにマイフレンドのリロリン(現在神奈川県逗子市のサイクルショップで勤務中)と写真を撮ったときの物です。 僕はジェシーと友達になってアメリカに行ったときには必ず会いに行っていました。

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そんなジェシーと彼のローカルライディングスポット、CalStateで渾身の一枚!

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こちらは95年頃の一枚、まだ第二期ミニランを作成中でした。この写真の左上に現在KOGの運営他で 大活躍しているGreen-G(竹生)が写ってます。彼はまだ厚木の大学に通う学生さんでバイクで帰り道に遊びに来てました。もちろんこの頃の彼はTシャ ツの裾をケミカルウォッシュのジーンズの中に入れてます。

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これ誰だか分かりますか?現在チーム・ディギットのプロライダーの河村卓馬です。誰にでも初心者の時 があるんです。彼が乗っているMorales Bikesはフラットランドフレームとして大ブレークしてました。

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97年の福岡の福岡の大会で太郎と!この時はChad Degroot、Ian Morris、Fidsも来てました。太郎はこれ以前からアニマルプリントの衣装を着こなして時代の先端をいてました。だってこのあとアユとかがでてきて ヒョウ柄とか流行りだしたんですから。

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同じくロボクンと。凄き筋肉美ですね。今も変わらぬボディーをお持ちです。そしていまだにアグレッシ ブかつスタイリッシュです。

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99年に大分で行われた大会「温泉でポン」の帰りにライダーの乗る車が大分道で大転倒事故を起こしま した。その当時カメンライダーだったヒロも同乗していて救急病院運ばれていました。僕は心配で生きた気がしませんでした。この事故は恐怖の二回転半として しばらくライダーの間で語り継がれる事になりました。幸いヒロは軽症で済みましたが入院したライダーもおりました。

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ディギット初期から来てくれていた日系ブラジル人ライダーのロバート。彼とは一緒に大会行ったり銭湯 にいったりと仲良くしてました。

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97か98年頃のフロリダの大会でFBMのSteve Crandallと会いました。実はFBMを初めて日本に輸入したのはディギットです(多分)。92年か93年頃だと思いますがその頃駆け出しのBMXマ ガジンだったride BMXにFBMは広告を出していました。それはふとっちょのおじさんの絵が描いてある広告で初期のFBMはTシャツしかありませんでした。しかもデザイン の一つしか無くTシャツのカラーも白のみでした。だけどふとっちょおじさんのデザインが素敵で手紙書いて数十枚をオーダーしたのです。そして待つこと数ヶ 月。ようやく手元に届いたTシャツ。わくわくしながら箱を開けました。すると……なんとTシャツが全部くっついているではありませんか!どうやら プリントしたインクが乾く前に重ねてしまったようで全部インクでくっついていたのです。当時は手紙しかやりとりの方法が無くって仕方なく泣き寝入りしたの です。とほほほ。。。でしたがそんなTシャツでも欲しいというライダーもおり数年寝かした後にディギコンの商品として重宝されましたとさ。そしてひっつい たTシャツをディギットに送ってきたSteveはそのあと出世してパーツやフレームも作り出すのでした。で、上の写真の時に初対面したんですが彼はディ ギットの事を覚えていてくれて一目で仲良くなりました。

この時のフロリダの大会には日本からShoe-gもエントリーして大活躍してました。僕は初めてのフ ロリダでしたが、あまりの灼熱で一日で顔の皮がべろっと一枚むけてしまって大変な目に会いました。

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98年頃のディギットローカルライダー。

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東大和にあったHYBストリートジャムです。当時一番楽しかったストリートの大会でした。

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97年頃の太郎と右はアトムくん。バーチカルライダーのアトムくんが福岡のショーに来たときの写真で す。当時九州でバーチカルのライディングを生で見られるなんて事はほとんど無くてそのトップライダーであるアトムくんが来てくれてショーでライディングし てくれるなんて凄い事だったんです。もちろんそんなアトムくんは大スター!九州ライダー全員がリスペクトしておりました。それぐらい彼のライディングは強 烈な印象を残したのでした。

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こちら太郎が名付けた山形バカ四人組。全員ナイスキャラでした。

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上の三枚の写真はダンナーが一時日本を離れることになり送別BBQをしたときの写真です。この頃はラ イダーは半ズボン!

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97年か98年には友達のショーン・マッキニーがディギットに彼のバイクS&M SabbathとPrimoのニュータイヤWallを引っさげてやってきました。そしてディギットでBBQをしたのですが、調子に乗ったショーンは走る車 にロケット花火を発射するは、ウィンナーを投げつけるはでそりゃも大騒ぎ。おかげでディギットは閉店かなと覚悟したもんです。

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上の三枚はディギット初期のお客さんからチームライダーになったコウシとの写真です。ランプは最終型 です。


最後までなつかし話にお付き合い頂きましてありがとうごましした。


これからも沢山の想い出を作るのが楽しみです!

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起業当時回想 その4

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☆「当時のBMXカンパニー。」

始めてきたディギットにやってきた商品は、エディー・ローマンの「RIDE ON」と「MATT HOFFMAN HEAD FIRST」という二種類のビデオ、それとRIDE ONのT-SHIRTSでした。このビデオは衝撃的でした。それまでモトクロスのビデオしか見たことが無かったのですが、断然格好良かった。音楽も映像も全てが抜群のセンス。Tシャツも日本人には絶対にデザインできないセンスで最高でした。そしてサイズはXL!

そしてHOFFMAN BIKES。ディギットと同じ時期にMATT HOFFMANが作ったバイクカンパニー。信じらハイエアーを見せるマットホフマンが表紙のカタログに心躍りました。バイクはHOFFMAN CONDOR。CONDORは今じゃバーチカルのフレームですが、当時はそんなの無くて、これでフラットからストリートなんでもやってました。レースを走っている人もおりました。ホフマンはTシャツも格好良くて特に「H」の字が燃え上がっているデザインのTシャツが格好良かった。ただ、このTシャツ、プリント部分が大きくて汗をかいて大変でした。

Wilkerson Air Lines、今の2-Hipです。この当時マットホフマンと、ロン・ウィルカーソンは一番有名なライダーでロンのバイクカンパニーがWilkerson Air Linesでした。RIOTと言う名前の独特の形状のフレームと、グラインドでハブがやられないように下に突き出たチューブが特徴のフォーク。忘れられません。

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FBM。いまはM社さんが取り扱ってますが、FBMもディギットと同時期に出来たブランドです。きっかけは雑誌に載っていた小さな広告を見て弟が手紙を出したのです。なんといっても今でも使っているチビでハゲでデブなキャラクターが本当によかったんです。当時はあのデザインのTシャツ1種類しかない個人ブランドだったんです。確か20枚くらいTシャツを頼みました。しばらくしてやってきたFBMTシャツは全部が張り付いていたんです。どうやらプリントのインクが乾かないうちに重ねたのと、一部だけインクが大盛りなっている部分があって全部シャツが張り付いていたんです。でも当時はシステム状返品が出来なかった!泣き寝入りでした。その後1997年にフロリダで社長のSteve Crandallと実際会ってその時のことを話したら、「すまん」と謝ってました。彼は今でも僕のことを覚えてくれていてとってもいい人です。

他にはPoor Boy、Jinx、UGP等素敵なブランドがありました。

ともかく当時はBMXの雑誌は必死に読みあさって良いと思われる物を輸入してました。でも本当にディギットを育ててくれたのは来てくれていたライダー達でした。

続く…

☆S&M bikes。何といてもダートバイクとスラムバー。最もカッコイイBMXカンパニー。特別な存在なので近いうちに別に書きます。

BMXのメカとして思うこと

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☆メカとして思うこと☆
オートバイから自転車に仕事を変えたとき、最も役に立った技術はリム組が出来たことでした。

実はほとんどのオートバイ屋さんはリム組が出来ません。リム組は専門のところに外注が多いんです。僕はモトクロスをやっていたこともあるし、オートバイのメカニックとして人がやらないことをやろうと思っていたので、独学でリム組が出来るようにがんばったんです。そのおかげでオートバイのリム組の仕事を独占的に任されるまでになりました。だからすんなりとBMXのホイールも組むことが出来ました。 それでも48本もスポークがあってテンション高く張るのはかなりの練習が必要でしたし、リム組はとっても奥が深い仕事で、これで良いと言うことがないんです。いくらやってももっと綺麗に上手く早く組める気がするんですよね。だから今でもリム組は修行の途中です。リム組の仕事が一番大好きな仕事なんです。

メカニックとして心がけていることは、まず、お客さんを納得させる話術と知識を持つこと。これ一番大事です。これが出来ないメカは整備も下手くそです。

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次に手抜きをしないこと。

いくつは方法がある時は一番確実な方法を選択するように心がけています。

オートバイや車のメカニック時代は、時間に追われてノルマもありますから出来るだけ早く、正確にこなす必要がありました。余裕がないことを疑問に思っていました。今は自分で仕事をしているおかげでじっくりと整備にこだわれますから、無駄だと思われることもそれもするようにしています。例えば外さなくても触れる部分も外してから触ってみるといった風に。それが一番確実な方法ですから。

最後に「自分は腕が良いと絶対に思わない事。」です。僕はいつでもかなり一生懸命にやっています。それだけには自信がありますが自分の技術には満足していません。特別上手だと思いませんのでいつまでも発展途上で上手くなりたいんです。いつまでもこれで良いだろうか。満足してもらえるだろうかと考えながら仕事をすることが、正しいことだと信じてます。

僕の整備は今でもエンジン付きをやっていたときの仕事が基本になっていますから、自転車屋さんの整備に未だに疑問を持っている部分もあります。

また、そのうち整備のついてのうんちくを書きますのでよかったら読んでください。

BMXにはカルチャーがあった!

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BMX IS LIFE STYLE

この前太郎と「BMX」をやっているって事は、カルチャーというか自転車に乗るという事以外にそれに付随する文化が有ったよねっと話し合った。

このBMXの文化というのは僕が一番好きな分でもあった。 最初はほとんどBMXの事を分かってなかった僕を「BMXって面白い」って思わせてくれた事は二つある。

一つはBMXライダー達がとっても素敵な人種だったことだ。それまでサラリーマンとして見てきた人たち、オートバイライダーそのどちらも悪い人たちではなかったが、何か違う気がしていた。でもBMXライダー断然違った! 凄く純粋で本当にチャリバカ!そしてライダーであることに情熱とこだわりを持っていた。BMXライダーだったら技が下手だろうが上手だろうが分け隔てなく「ライダー」だった。僕のように年が離れた大人も差別なく友達になってくれた。そのおかげで僕は絶対僕と同年代の人間が体験したこともないような「とんでもなくアホなこと」を沢山味わうととが出来た。また、「この人と知り合いになれてよかった!」って思わせるライダーとも沢山友達になれた。これは今でも「BMXライダーは最高!」って僕は本気で思ってるし今でも僕を「へ~ぇ」ってうならせてくれるライダーが沢山存在する。

確かに僕はBMX商品を売ってご飯を食べているけど決してパーツが好きな訳じゃない。どんなに新しくて凄いって思わせる部品でも、面白い(興味深い)ライダーには到底かなわない。色んなライダーに会いたいからディギットやってると言っても良い。それくらいこの16年面白かった。

二つ目は最初に書いたように「BMXは文化だ!」って思ったこと。当時のBMXにはBMX的音楽、BMX的ビデオ、BMX的ファション、BMXライダー的生活があった。BMXライダーは一目見たらこの人はライダーだって分かった。自転車の部品と一緒にビデオ買ったり、洋服買ったりそんなスポーツ他になかった。当時のMTBやモトクロスじゃあり得なかった。もうBMXライダーになるということはその宗派に入いるというかそれぐらい、強烈に個性をアピールしてた。僕はそれが面白くて仕方がなかった。パーツと一緒にビデオやウェアも売れるなんて最高に楽しかった。みんなBMXメーカーのTシャツ着て、BMXライダーだけのアパレルブランドも沢山あって、カッコイイビデオも沢山あった。ビデオは技を見るだけのビデオではなかった。みんなビデオでライダーがどんなシャツを着てるのか、どんな靴をはいているのか、どんなチャリにのっているのか、色は、そして何よりビデオの中でどんなことが繰り広げられるのか、どんなアホなことやっているのか、等々ビデオ全部がライダー達の教科書的な存在だった。ビデオの中にもカルチャーが有った。見るのが楽しみだった。

ところが最近、この「BMX文化」が衰退している気がしてとっても残念が気がする。今、街でライダーを見かけても多分自転車持ってなければライダーだって分からない。昔を懐かしんでいう訳じゃないが、当時のBMXは時代を引っ張ってたと思うのだ。フリースタイルだからどんなでも良いのだけれど、「最近個性がないぞライダー達」といわせていただこう。

BMX IS LIFE STYLE.

BMXが時代に合ってきてしまったから「BMX独自のカルチャー」がなくなってきてしまったのかもしれないですね。みんなオシャレだし。

でもあえてあの素晴らしい「BMXライダーだけの世界」をもう一度。

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(1994年頃に開催された「ディギコン」。会場はディギットの前)

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(1995年頃時代の最先端はこのCHAD DEGROOT。いつも変装道具を持ち歩いていたりいたずら大好き。そのあと彼とは一緒に何度か遊んだけどおもろいやつです。)

ディギット起業当時回想 その5 「ライダーが育ててくれた」

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ディギット一年目の試練。

最初はモトクロスウェアーの代理店の片手間のように始めたBMXショップでしたがちらっと「サイクルスポーツ」誌に広告を載せたら予想を上回るほどの反響がありました。今思えばほとんどBMXの記事がない「サイクルスポーツ」誌に広告を出したのも全くこの業界を分かっていなかったからに他なりませんが、徐々に電話がなって来店してくれる人も増えてきました。とはいえ、前に書いたようにディギットの立地のせいでたどり着けなかったライダーも多数でしたが、来てくれたライダーはみんな凄く感動してくれるので「これは凄いことなのかも?」って思いました。ほとんどのライダーが「うわーこんなにBMXやパーツが置いてある店見たことない!」っていってくれたんです。「凄い凄い、嬉しい!」って感動してくれライダーも!

しかし当時、本当はそんなにたいしたことなかったんですよ。ホフマンコンドルの完成車とフレーム&フォーク、ウィルカーソンのフレーム&フォーク、Tシャツにビデオぐらいしかなかったのにこんなに感動してくれるなんてもっと揃えたらどうなるんだろうって心が躍りました。来てくれたライダーは大体ビデオを買って行ってくるんですが、それを見てもっと感動したらしくわざわざ電話で「ビデオ凄かったです。有りがとうございます。」って。買ってもらったこっちの方が感謝するならわかるんですが、感動した気持を素直に伝えてくれたりと、あの頃、ライダーは情報に飢えていたんですね。

それで僕はますます、BMXって何だか凄いぞって、ライダーって面白いし良いやつが多いなって思い出したんです。

それでもまだまだ、BMXショップはモトクロスウェアーの市場規模の比ではなかったので腰掛け商売だったのかもしれません。

ところが起業から一年目。アメリカのモトクロスウェアーカンパニーが大手に乗っ取られて(今でいうところのM&Aで)ファックス一枚で代理店契約を打ち切られてしまったんです。残ったのは数千万円の借金と数百万円の在庫のみ。危機でした。毎晩ディギットがなくなる夢を見ました。ノープラン、ノー天気野郎だった僕も借金を背負って生きていくのかと物凄くグライ(失望)しました。

そして、もうディギットに残っているのは「BMXショップ」それしかなかったのです。

僕はこれを必死にやっていくしかないと覚悟しました。それで一体どうするか…

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まずディギットの最悪立地をカバーするために通信販売で売っていくしかないなと思ったんです。

それにはカタログを送る必要が有るのですが、それだけだと面白くも何ともないですから、ディギットの常連さんライダー(彼らはとても個性的で面白かった。)の事をニュースにしたり、当時大会を頻繁にしていた駒沢公園に取材に行ったりして内輪ネタを付けて「DIG-IT NEWS!」というカタログを作りました。

結局はだんだんエスカレートして「DIG-IT ‘ZINE」に発展していくんですが、それはまたそのうちとして今回はそうやってBMXショップとして本気になったディギット。

この最初の危機も結局はライダーが救ってくれたんです。

カタログの件では以前から興味深かったライダー達のライフスタイルを取材させてもらい、地方も都会も関係ない沢山のライダーから支持してもらえましたし、ライダー達もディギットを信頼してくれてかけがえのない生の情報を沢山くれたんです。

商品構成などについても、僕は必死にBMXの雑誌を読んでどんな物が良いのか、何か新しいもの、ブランドはないのか探りましたが、僕のあがきよりもこれも結局何よりライダーからもらった情報、声が一番だったんです。

例えば初期のディギットの代名詞となった「GRAVEYARD PRODUCTS」。世界最初のフラットランドパーツカンパーニーでした。

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「GRAVEYARD PRODUCTS」はBMX PLUS!誌に小さな小さな記事があり、それをあるライダーが「これ、とれないんですか?」って聞いてくれました。調べていくと当時からトップライダーだったJesse Puenteが使っていた「Jesse Bar」も同じ会社が作ってるのがわかりました。しかしアメリカ人は住所を悟られないためなのか、貸し私書箱を使っている人が多く、「GRAVEYARD PRODUCTS」もそうだったので正確な住所が分かりませんでした。仕方なくうちの弟がアメリカに行ってその私書箱の住所付近をうろうろしていたら偶然一人のライダに遭遇。そして「GRAVEYARD PRODUCTS しらない?」って聞いたらそれがたまたま本人だったんです。全く運がよかったとしか言えません。その時はハンドルバーを数本買って帰ってきました。それがちまたで凄い噂になり一時ハンドルバーだけでバックオーダーが100本以上有ったのですから恐れ入ります。その時バックオーダーのハンドルバーをちゃんと生産できていればディギットは今頃大きな会社になれていたかもしれませんがそうはいきませんでした。結局は社長のRichardが交通事故で亡くなって。それに関しての詳しくはまた折を見て「GRAVEYARD PRODUCTS」ついて書いてみたいと思っております。

ライドBMX(アメリカ版)マガジンはディギットとほぼ同じ頃に出来たので創刊号から仕入れていましたが、アメリカの会社にありがちのともかく「チャンと来ない!」んで困っていたんです。いつ発売なのかも分からないしいい加減な雑誌だったんですね。そこでS&Mの社長 Chris Moellerにその話をしたところ彼はその場で当時ライドの編集長だったBrad McDonaldに電話をしてくれて「ディギットにはちゃんとマガジンを送ってやってくれよ。」って頼んでくれたんです。感動でしょ。

テクノ南海、当時は南海鉄工と言いました。

今では世界一のフリーコースターハブのメーカーとして有名ですが、1993年位まではBMX界の人は誰一人知りませんでした。どんなやってテクノ南海が今のように有名なったのか?

それはこれまた、ディギットの常連さんの一人が「サンツアーのコースターハブが手に入りませんかね?」と言ってくれたのが始まりでした。

当時、コースターハブを使っていたライダーの多くは80年代にあったサンツアーのコースターブレーキハブを改造したフリーコースターを使っていました。ともかくサンツアーこれはなかなか壊れないし、ちょっとくらい調子が悪くても練習できる(By Jesse Puente)そんなBMXライフスタイルを実践しているライダーには圧倒的に支持されたハブでした。

ところが多分ディギット創業時には既に廃盤。サンツアーの会社自体も風前の灯火状態だったのです。でも、何とか手に入れたい、国内、海外手を尽くしましたがもうハブはどこにも有りませんでした。

そこで思い切ってサンツアーの会社に電話してみたんです。対応してくれた方はとても親切なかたで、熊本の方と言うことで九州人どうしで盛り上がり、わざわざディギットに来てくれたんです。そして彼が言うには、もうサンツアーは手に入らないと言うことと、色々調べた結果、フリーコースターにして使えるコースターブレーキハブを作っている会社が大阪にあると教えてくれました。

それが「テクノ南海」です。

その他思い立っただけでもUGP、Poor Boy、Little Devil、Etnies、Terrible One、Magic Fruits、Props、Standard Bykes等々数えきれません。

全てライダーが教えてくれました。

ここで例とした会社、ブランドをはじめほとんど多くをライダー達が教えてくれたんです。

だからディギットはライダーとの付き合いを何より一番大事に思ってます。

ディギットを作ってくれたのはライダーの皆さんそのものだからです。

(ちょっとキザですみません。でも間違いなく真実!)